ヘルスケア

10年前の古傷と、後ろ向きな決意

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3年前のあの日、私は今後について大きく悩んでいた。

娘はまだ1歳過ぎたばかりで、近頃やっと歩き始めたのに、忘れかけていた10数年前の古傷が痛み始めたのだ。

 

10数年前、私は飛び降り自殺未遂をした。そしてその時全損してしまった顎関節が、鈍い痛みから始まり、その頃には痛みと共に右の頬骨が『でっぱり』はじめたのだ。

 

骨が出っ張るのは何がいけないのか・・・。寝れないのだ。寝ていると知らないうちに寝返りをうち、出っ張ってしまった骨を下に寝てしまう。すると朝起きた時に、信じられないほどひどい頭痛に見舞われ、しばらく動くこともできないほど苦しむことになった。

 

こんな痛みがあるならなぜ起きないのか?医者にも聞かれたが、顎関節を失った自殺未遂の前から、強い睡眠薬を服用しないと眠れないため、痛みや違和感ぐらいでは私は起きることができない。

 

だからこそ、この頃は原因不明でただ出っ張り続ける骨と、朝の尋常じゃない頭痛に悩まされ続けることになっていた。

 

そしてそれが限界だと判断された時、医師から『手術の提案』がされたのだ。

 

手術への迷い

私はもう、顔周りの手術は二度としたくなかった。

10数年前自殺未遂の傷を治すために3度行った手術は、どれも成功と呼べるものはなく、ただただ私に『術後の苦痛』をもたらした。

ご飯が食べれなくなるのは定番で『鼻から管を使って入れる栄養』は、味がしないはずなのに、醸し出される匂いで何度も吐きそうになった。

 

そして成功しなかった3度目の手術の後、主治医に「これ以上は、もうどうしようもないですね・・」といわれた時、もう期待はしないと決めていたのだ。

治るかもしれない、もう少し『まし』になるかもしれないと考えるから辛いのだ。

自分が悪いから仕方ないと諦めれば、ひどく落胆する必要はない。だからこそ、3度目の手術の後は、もう決してそれ以上のことを望まなかった。決められた通院が終わると、その病院に行くこともやめた。

自分のせいだから仕方がない、不便なこと、手放さなくてはいけないことがたくさんあったが、それは『もう一生どうにもならないものなのだ』と心の目を閉じて受け入れていくしかない・・・。

 

そうして顎の事は自分の中でやっと乗り越えた『過去』だったからこそ、10年越しに告げられた手術の必要性を聞いても、私は医師にその場ですぐに『わかりました。お願いします。』とはどうしても言えなかった。

 

なぜ?いまさら?

 

もう十分いっぱい諦めたのに、まだ足りないの?

 

そんな気持ちが私の胸の中を駆け巡った。だからこそ家に帰ってもぼんやりとしながら、本当に手術は必要なのか?手術すれば本当に痛みやでっぱりや良くなるのか?また前のように開いてみたけど、なにもできなかったで終わることはないのか?とグルグル考えても仕方のない事を、考え続けることになったのだ。

 

ブログを始めるという決断

結論が出ないまま、決断の時をじりじりと迎えていた時、古傷の経緯を知っている数少ない昔の友人から、心配して連絡が来た。

「あまり思いつめるな」「元気をだせ」と励ましの言葉をもらうと同時に、この時何の気なしに話した彼女の言葉が、のちの私の人生を変えることになった。

 

「そういえばさ、私ちょっと前からブログを始めたんだけど、これがちゃんと収入になるんだよ!あんたさコツコツの真面目タイプだから、ブログとが合うんじゃない?入院中って暇なんでしょ?いい機会だと思って始めてみたら?」

きっと彼女は私を励まそうとしてかけてくれた、世間話の一端だったと思う。ただこの言葉は私の中で大きな落雷のような衝撃をもたらした。

 

私は『人生には転機がある』30数年生きて感じている。

 

普段あまり連絡をすることはない知人からの、「昔の出来事」を知っているからこそ心配してかかってきたた偶然の連絡。

1歳ちょっとの娘を抱えて、本当なら『自分の時間』を確保することが難しいはずの状態で訪れた、10年越しの古傷の手術という不幸。

そしてそれによりもたらされた、病院という一人の空間での長期の強制滞在。

 

私の中で、パズルのピースがピタリとはまる音がした。

 

その知人の電話を切った後、まだ1歳のちょっとの娘を抱えて、街の中心部に行くバスに飛び乗った。普段なら夕食を作るはずの時間だったが、そんなことを気にすることもなく、せっつかれたように飛び出したのだ。

 

地元で一番大きな電機屋に来ると、パソコンの種類や良さなど全くわからないから『ブログをかけること、そして予算は5万円しかないこと』を告げて、店員に人生で初めてのパソコンを選んでもらった。

 

買ったのはHP社のスペックはからっきしのものだったが、背中には疲れて眠ってしまった娘をおぶって、右手には買ったばかりのパソコンが手に食い込み歩く帰り道は、今でも鮮明に思い出せる。

新しいことをはじめるワクワク感と、入院という本来ならネガティブな事が起こらなければ、絶対に踏む出すことのなかった『迷い』から『決断』への一歩を考えて、初めて今回のことを前向きに考えることができた。

 

手術するのはしょうがない、だったら与えられた時間を貪欲に使ってやろうと・・。

 

迷いと決断のその後

決心をした手術は無事に成功した。

実際には命にかかわる手術ではないし、前例があまりない事を除けば、そこまで難しい手術でもないらしい。ただ、顔の神経が通る部分を切開するため『もしかしたら、顔面に麻痺がでるかもしれない』と事前に通達されていたため、全てが無事に終わり麻痺などの症状も今のところ見られないと分かった時、涙が止まらなかった。

 

私の手術個所は顔だったので、痛み止めを飲みつつ約3週間の入院生活を送った。入院期間中は、寝る時間以外はずっとパソコンにかじりつきブログを書き上げていた。

大好きなドラマをランキングしていく作業は、初めてのパソコンで行なうとスペックの悪さに、途中何度も何度もフリーズをして、頭を掻きむしって怒られたのも懐かしい。

今見ると赤面ものの記事も、私の中では大切な『成長の証』となっている。

 

そしてこの時に始めたブログは、今は立派な私の仕事になっている。

 

あの時、お金のなさから手術を断ると選択もあった。手術への不信感から、やはり手術をせず別の方法を模索したり病院を変えるという選択肢もあった。友人の話を『世間話』といして流してしまう選択肢も充分あった。

ただ迷いつつも手術を決断し、副産物として生まれた時間を『ブログを書く』という新しい挑戦への決断ができたから「今の私がいるのだ」と思っている。

 

人生には多くの道がある。どの道をいくのか?どの道を選ぶのか?それによって人生は多きく変わってしまう。

だからこそ、3年前の自分に今私はこう言いたい『あの時、あの決断をしてくれてありがとう。君の勇気が、今の私をつくっているよ』と。

 

人生は「迷い」と「決断」の連続だ。だからこそ、未来の自分に褒めてもらえるようなそんな決断を私はこれからも選んでいく。

 

ABOUT ME
月城
月城
アラサー主婦が専業主婦を卒業するため奮闘します。漫画・ドラマ・ヘルスヘアたまに昔話などを綴っていきます。
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