【激驚】生きてる意味あるの?っと思った人々~精神科閉鎖病棟編~
こんにちは。月城です。以前にも書いた通り私は元重度鬱患者です。そして症状が一番重い時には、一時「閉鎖病棟」と言う所に入院していたこともありました。そしてそこには、生きているという定義について考えざるを得ない人もいました。今回はそんな人々について書いていこうと思います。
閉鎖病棟とは
そもそもまず閉鎖病棟とはどういうものかご存知でしょうか?
閉鎖病棟とは、精神科病院で、病棟の出入り口が常時施錠され、病院職員に解錠を依頼しない限り、入院患者や面会者が自由に出入りできないという構造を有する病棟である。
とwikipediaではなっていますが簡単に説明すると、患者本人の意思で、出入りが全くできない半牢屋のような病院です。
ただしこれは強制入院に限られます。自分の意志で入院した場合は、医師の診断のもと即日退院できることもあります。
現在は色々見直されて、改善の余地が出てきてはいるようですが、当時私が入院していたのは、昭和50年代ごろの建てられた本当に古い病院でした。そのため、見学で見た「保護室」はドラマなどで見ていた映画の牢屋よりもひどいものでした。
保護室・・・入院患者が自傷、他傷を行い手が付けられない時に入る部屋。
例えば自殺防止のためトイレに一切の仕切りがなく、また排便時も監視できるような小窓がついていました。また、私の入院した病院では、その保護室はすべて鉄格子でできており、本当に牢屋としか思えない造りでした。
閉鎖病棟は中に入るまでも、何度も大きな扉を通り、何度も施錠に施錠を繰り返して、奥の病棟に進んでいきます。また中の構造も一見すると迷路のようになっていて、よく病院内を知っていないと、脱走しても迷子になる様な作りになっていました。
そして私は20歳の時に、初めてこの閉鎖病棟の有るこの病院に転院してきたのです。
一見普通の人々
中の物々しい雰囲気と違い、入院している人は一見普通の人ばかりに見えました。
年代は10代から70代まで幅が非常にありました。食事の時以外は各自の部屋で過ごすため、あまり関わりもなく過ごせるのかな?と思って今ましたが、それはすぐに甘い認識だったと考えを改めさせられました。
連れていかれた大部屋は四人部屋で、「カーテンなどの仕切りは一切なく、プライバシーというものは全く存在していなかったのです」
そして、そこでは年代も症状も違う、入院患者との強制共同生活が待っていたのです。その時同じ部屋になったのは、「10代の少女」と「30代の主婦」と「60代のおばあさん」でした。
統合失調症の少女
彼女は私が恐々病室に入ってくると、一番に話しかけてきました。そう唐突に、何の脈絡もなく
「私の悪口言わないでね!」っと言って去っていきました。
私は当然彼女とは、一切面識はありませんでした。そのため唐突なその言葉に、本当に鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっていたと思います。
私はその場では彼女の言いたい事を、理解することは出来ませんでした。しかし後日、別の入院患者から彼女の詳しい話を聞くことになったのです。
彼女は統合失調症と呼ばれる病気で入院していました。
統合失調症とは・・・幻覚や妄想などが特徴的に表れる精神疾患です。この幻覚や妄想が、現実のものと区別ができない様になるため、日常生活が著しく困難になります。
彼女はこの疾患のため、自分に聞こえない微かな音をすべてを、彼女に対する「非難」や「悪口」と誤認していたのです。そして新しく来た新参者の私が、彼女の妄想の中で悪口を言わないように、最初に釘を刺していたのです。
見た目は、かわいい高校生くらいの彼女は、愛嬌もあり病棟でも男性患者に人気がありました。しかしそんな見た目にはわからない子でも、時に食事中に豹変して、隣で食べている患者につかみかかることもありました。
食事中はトラブルを極力防ぐためこの病院では、男性看護師が2名食事を見守っていました。そのため、こういうトラブルが起きても比較的すぐ事態は沈静化していました。
本当にいつ何が起こるかわからない、ひやひやした生活だったと思います。
おばあちゃんの悩み
私がその時入院した中で、唯一まともに話ができたのが「60代のおばあちゃん」でした。おばあちゃんは元々精神疾患があるわけではなく、常用していた睡眠薬の断薬のために入院している患者でした。
稀ですがこういう患者も中にはいます。
そして、そのおばあちゃんが私に泣きながらこう言ってきたのです。
「ここには、睡眠薬を止めるために来たのに、毎日、毎日怖い体験談をたくさん聞かされて、どんどん眠れなくなっちゃうの・・・。」と
ここに入院し、しかも短期で出ていく患者は、あまりいませんでした。また、他人の話にちゃんと耳を傾ける患者も、少なかったのだと思います。おばあちゃんは優しい性格だったため、何人かの入院患者たちの壮絶な過去話に付き合ってしまい 、その後噂を聞き付けた、他の患者の過去話にまで付き合わされる羽目になっていたのです。
そしてそのおばあちゃんは、そうやって涙を流した後、すぐに他の病院に転院していきました。そして、病室には私達3人が残されたのです。
生きていることの定義がわからなくなった患者
3人目の患者は、私の向かいに座っている「30代の主婦」でした。
彼女は長期入院しているにもかかわらず、それ以外の情報を、何も持ってはいませんでした。そして私は彼女が自発的に動いているのを、見た事もありませんでした。
彼女は、ただずっと座っていました。誰かが声をかけるか、強制的に移動させない限り、ただずっと座っているだけでした。食事も二人の看護師に、車いすに乗せられ談話室に行き、付き添いの看護師が口に運ぶものをただ咀嚼していました。
私には彼女が、すでに「意思」というものを手放した人間に見えました。
生命活動があれば、人間は生きています。
しかしもし、魂の抜け殻になったような人がいたとしたら、それを見て生きていると断言できるのでしょうか?
少なくとも私には、彼女が積極的に「生」に対して執着しているようには見えなかったのです。そしてそんな彼女でもなお、死ぬことすら許されないことに、私は激しく恐怖したのを覚えています。
「最後は死ねばいい」、そんな感情を消し去るような、衝撃的な出会いだったと、今は思います。
そして、、、
私が精神科に入院したのは、「正直こういう方々を私に見せるためだった。」と当時の担当医が後に明かしてくれました。「意思さえ消えても終わりのない地獄なら、いっそ這い上がってこい!!」そういうエールの送り方だったのだと、今ならわかる気がします。
最後に、私がここに入院した理由は「強い自殺願望を、実行に移したから」でした。私はその実行により、右足と顔の一部を損傷しました。そしてこの入院は、そんな私に二度と同じ過ちを、繰り返させないための物でもありました。
非常に賛否分かれてしまう事だと思いますが、私にとって「生」というものの定義を改めさせられた出来事でした。ちょっと重い記事でしたが、お付き合いくださり、ありがとうございました。
月城